自分探しする人

投稿者: | 2016年9月6日

人間は時々「自分探し」というのをする。
らしい。

探すのが友達とかならわかるけど、自分を探すってどういうこと?
ボクの飼い主のマコトも前はよくやっていた。
朝起きてしばらくの間ぼーっとして何も始めなかったり、
ひと仕事終わった後に「ふぅっ…」とか言ったきりテレビを眺めていたり。

マコトはこんな感じだったけど、もう少し「行動派」の人は、いろんな「お話の会」みたいのに出かけて行っては疲れた顔で帰ってきて「なんか違うな…」とぶつぶつ言ったり。

自分って何?
と聞かれてもボクにはうまく答えられない。

たくさん泳いで、できるだけおいしくて栄養がある魚やイカを探して、お腹いっぱい食べて、昼寝して、長老の話「自分というのはまぼろし」を聞いてクラクラして、エレノワの宿題「雲を遊ぶ」をしに外に出て雲を眺めて考えて、家族や友達と最近の天気や海の具合について話して、寝て、起きて、お腹が空いたら海に出て、たくさん泳いで…

うーん、つまりボクって「菅(くだ)」、かな。
口から食べて、昼寝してウンチを出す。
時々考えるから「ちょっと気のきいたクダ」くらい。

それでいいとも、悪いとも思わない。
だって、そうなんだから…。

でも人間はそれじゃ気にいらないらしい。

自分って何?
どうして生きているの?
このまま生きていていいの?
どこに行くの?
何のために生きているの?

ぐるぐる、ぐるぐる、ぶつぶつ、いらいら…
どうして理由がないと落ち着かないの?
って、とっても不思議。
でも理由が見つかると急にソワソワし出して、すっごく大変そうなことでもうれしそうに始めるから、ますます不思議。
そんな人間のことがボクは好きだけど、やっぱり不思議。

ボクたちもぐるぐるするけど、考える「ぐるぐる」じゃなくて動く「ぐるぐる」。
動く「ぐるぐる」は、動いた後に足跡や波の輪っかや思い出がたくさんできて、気がついたら「何か」になっている。
「何か」以上になっていると感じることもある。
それが人間が言う「理由」なのかもしれない。

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