いつも自分のことばかり考えていて周りが見えていないヒトって困りもの。
いちばん困るのは、そういうヒトは「まわりが見えていない」こと自体に気がつかない。
そりゃそうだよね。だから、見えなくなるわけだから…
自分の内側ばかり見ていて、まわりのことに気持ちが向かないヒトは風の温度が変わったのに気づかない。季節が移って花の匂いがしてくるのにも無頓着。だから毎日同じことの繰り返し。
ボクもペンギン学校で勉強してた時はそんな子だったからよくわかるよ。
ざわざわした仲間の気配や声、自分の中からやってくる胸騒ぎ、宣伝ペンギンたちの騒々しい歌や踊りで目や耳が一杯だった。
そんな時、エレノワが決まって言ったことば。
「ノイズを減らしなさい」
「感度を上げなさい」
「外に出て雲と遊びなさい」
みんなで暮らすコロニーから少し離れた丘の斜面まで行って、遠くかすかに聞こえてくる仲間の声を確かめたら、空に目と耳を向ける、はるか高いところでカモメが大きな輪を描いている。雲と風が語りかけてくる。足の下から感じる氷の温度が昨日より少し暖かい。
海では、クジラが潮を高く吹き上げて、大きな尾びれを海にたたきつけるのが波の間からかすかに見え隠れしている。仲間たちが今ごろ、あのあたりでオキアミを追っているんだろうな。
ボクは目をつむって、いましがた見たものを今度は心に描いてみる。風や氷やお日様の光を、一生懸命できるだけ鮮やかに感じるようにして、感じたらふわっと流す。
今度はこれまでに体験したいろんな場面が、その時のまわりの音や感じた気持ちと一緒に次から次へとボクの心に浮かび上がってくる。
それも、さっと感じたらふわっと流す。
風や空や雲、お日様と地面の匂い、仲間やカモメのかすかな声がだんだんハッキリ聞こえるようになってきて、ボクはみんなと一つにつながっているようか感じがしてくる。カラダがぐるぐる回り出すような不思議な感じ。
ボクたちが育ったところにはお花畑も高い木もない。もともと自然そのものの中で暮らしていたけど、それでも、みんなから少しだけ離れてしばらくのあいだ過ごしてみると、こんなふうに「ざわざわ」を忘れて何かがつながる感じがする。
ニンゲンが普段暮らしているところは、ゴチャゴチャ、ごみごみしてるけど、ちょっとお散歩すれば小さな自然が見つけられるのに、って思う。街路樹の新緑や花のつぼみ、公園の木々や小さな鳥達のさえずり。海や丘だってそう遠くないところに見つけられるだろうに。
新しい教科書を買ったり、オトナのための学校に行かなくても、ものごとを鮮やかに感じる練習をちょっとすれば自分がぐるぐる動きだすのに…
まぁ、ボクも最初は同じだったからニンゲンがなかなか気づかないのも無理ないか。
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